目に見えるものを見ないで死ぬ 目に見えないものを信じて死ぬ

梅雨に入って元気いっぱい!なナメクジや青カビと格闘するネイチャーです。意外と寒いこの時節、体調管理にお気をつけ下さい。

さて、先日200Xのトライジールremixを難易度ハードで能天気に遊んでみたのですが、低ランク走行して安心と思いきや色々と状況の変わっている場面があり、肝を冷やしてとても楽しく御座いました。

また、難易度を変更するとロケテスト版の敵攻撃に出会えたりもします。「ロケテスト時点でプレイヤーを殺しすぎた攻撃」がこっちに移されている、といった感じです。エクスジールでも難易度を上げると、5面の開幕が比較的悪魔的になって楽しいですよ。トライジールも同様です。

そんな中、トライジールに関して懐かしい思いをしたので、少し記事にしてみます。

●トライジールのロケテスト時、妙なことがあった

トライジールのロケテがなされていたのがいつ頃だったかは忘れましたが、ロケテストの時に色々な人のプレイを見ていて「あれっ?」と思ったことがあったのです。自分はSTGをやりこんでもいないし上手くもないと自負しているのですが、その自分が死なないような箇所で、多くの人が死んでいる。

どこかというと、1面の開幕、自機がバク転しつつ回転ザコと対峙するあの箇所です。回転しながら飛行機雲を出す紫色の戦闘機がかっこいいシーンですね。

tri1.JPG

このザコが、ロケテスト版では真下方向にそれなりの速度の針弾を出してきていたのです。トライジールremixでは敵弾のグラフィックが変わってしまっているのですが、難易度をハードにすると多分あれと同じ攻撃に出会えることになるのではないでしょうか(如何せん弾速云々までの記憶はないので本当に同じかどうかは判りませんが)。

この攻撃は、敵戦闘機がガシャコンと展開して左右から二門の砲身を露出させた後に、その砲身から放たれます。取り立てて初見殺しの罠という訳ではない攻撃ですが、これには西部劇の撃ち合いのような、「撃つ!でも相手も撃って来ているのでヒラリとかわす!」みたいなナイス緊張感があり、成歩堂と思っていました。勲章回収もちゃんとできるようになっていましたし。

でも、他の人のプレイを見ていると、本当に多くの人がそこで死んでいるのです。

そして実際、この攻撃は製品版では姿を消し、この飛行機雲ザコ地帯は攻撃を吐かない、出てきたザコを破壊するだけのポイントになりました。

何故だろうか、うーむ、といったことをその時に何となく考えていて、2007稼動後も何となく考えていて、そしてそのまま忘れたり思い出したりしながら、先日remixのハードを遊んでその記憶が復活しました。

確か私はロケテを遠く隔てた後日、こういう仮説を立てたのです。

・STGを遊び慣れている人は、1面のザコが「ああいう」攻撃をしてくるということを想定していないのではないか。

妙なことなのですが、攻撃の定番である自機狙い弾は、「前方の敵が基本的にどこにいようが、そして後方の自機がどこにいようが、自機がその位置を一方に動いてしまえば絶対に当らない」んです。それに対し、「真下に攻撃を吐いてくる」場合、「敵の位置を把握していないと被弾して死ぬ」のです。繰り返すに、自機狙い弾は、横に動いていれば「見ていないでも死なない」、垂直弾は、自機狙い弾以上にシンプルな攻撃である癖に「見ていないと死ぬ」のです。

私はロケテ当時、自機狙い弾に対応するスキルを全く持っていなかった。自機狙い弾に対応するスキル、というか、自機狙い弾を吐きつつワチャーと迫ってくるザコにビビらないで対処出来るスキル、というのは、「移動しながら攻撃し続ければ敵弾も敵軍も恐れるに足らないもんである」という理解みたいなものなのではないか。そしてそれは敵・敵弾に対する一定の不文律的な信頼感なのではないか。そしてそういう信頼感が私には形成されていなかったので、STGが怖かったし死んでいたのやもしれない。そして、STGを遊び慣れている人は、そうやって敵を信頼した結果、飛行機雲ザコに射抜かれていたのではないか。目に見えないものを信じて泳いだ結果、殺されているのではないか。そんな仮説を立てていました。

やがてこの仮説に、もう一つ仮説が付け加わりました。

・STGを遊び慣れると、敵は「戦闘機」ではなく「特定の攻撃を射出する空間点」として認識されるようになるのではないか。

つまり、STGを遊び慣れると、「目の前の戦闘機がガシャコンと変形しながら真下に向けて砲身を展開している」という事態を認識しなくなるのではないか。目に見えるものを見ていないのではないか。そして、そういうような認識をいちいちしないで済むからこそSTGを上手に遊べているのではないか。敵弾とか敵機が画面内にワチャーと存在する中、全部に注意を向けてなんていられませんからね。目の付け所を限定している。認識すべきものというのを予め限定していて、それに慣れている。だから、眼前の敵が砲身を展開しているということを見えていないで、死ぬ。

多分そうすると、ゲームを作ってる人が作った攻撃予告に対する感受性も変わってくる。「砲身が展開されて、その後に攻撃が来る」というのは立派な予告行動だと思うのですが、その予告が感受されない。予告の感受が「どの空間点からどのような性質の敵弾が来るのか」という観点に収斂され、別の視点が無化される。結果として、死ぬ。

のではないか。といったことを考えた訳です。多分他にも色々と理由は複合しているのでしょうけれど。例えば勲章が真下に高速で落ちることとか。

●ゲームいろいろ、観点いろいろ

そんなことを考えつつ色々なSTGを見ていると、なるほど「敵が砲門を展開して攻撃してくるゲーム」「そのことに予告としての意味があるゲーム」「敵弾の挙動と攻撃タイミングとを共に予告する敵」「タイミングは予告しないが長い砲身が攻撃方向を予告する敵」「タイミングだけ予告して、敵弾の挙動自体は動作と無関係である敵」「動くと同時に弾を吐いているので予告とは言えなさそげな敵」、「予告はしているがそのことに取り立てて意味はなく、端的に演出としてそうなっているゲーム」、また「敵が自身による攻撃と無関係な動きをしているゲーム」とか「そもそも敵が一枚絵であるゲーム」、「それでもちゃんと成立するような攻撃にちゃんとなってるゲーム」、「むしろ無予告であるが故に異様な感触を生んでしまっているゲーム」などと、色々なものがあるっぽいような気がしてきました。

そうして改めてトライジール1面を見てみると、雲海降下後のよりどりみどりのザコたちが、皆それぞれに、(無駄と思えるほどに)個性豊かな挙動をしつつ攻撃をしていることに気づかされたりします。どうせ瞬殺されるだけのザコ戦闘機たちが、それぞれ一生懸命にクルクル回っているので、「ああそうか、こいつらメカなんだよなあ」などとしみじみ思いました。トライジール、エクスジール共に、多くの敵は明確に「攻撃するメカ」として作られている感じがする訳です。

ゲームを作る側の観点があり、一方でプレイヤー側にも観点があり、その観点が合致したりしなかったりする結果、体感難易度が上がったり下がったりするみたいですね。なんとなく動いた結果ホイホイ殺されたり損ぶっこく場合は、自分の持っている観点を再度精査してみるのも面白いかもしれない。

そんなことを、トライジールremixを遊んで思い出しました。難易度変更プレイ、マジオススメです。

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また、そんな中、エクスジールに関して「死んだ理由が判りやすい」という感想があちこちで聞こえるということは、実は激烈に意味のあることなんじゃあないかと思ったりしています。「敵の攻撃状況がプレイヤーに満足に提示されている状態で、死んでいる」訳ですからね。

エクスジール。クリアすると社長を攻略した気分になれて愉快ですよ。

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